牧師のメッセージ
牧師からみなさまへ:今までたくさんのところを旅してきました。多分それは若き日に出会った学生YMCAの仲間や先輩たち、アジアの学生キリスト者たち、恩師の方々の影響が大きいと思います。信仰の交わりを通じて、自由で平等な風の吹くところ、またこの世の苦難を祈りの課題としているところを旅してきました。出会いに感謝しつつ、この三鷹の地で主イエス・キリストに従う生き方を歩み続けたいと願っています。聖書を一緒に読むことで見えてくる世界を、あなたも体験してみませんか。矛盾と苦しみの多い世を生き抜くためのヒントがきっと見つかるはずです。
石井智恵美牧師
1960年生まれ 東京生まれ
同志社大学神学部大学院修士課程卒業後 韓国留学
帰国し、富坂キリスト教センター研究主事、川崎戸手教会説教協力牧師、その後ドイツ留学を経て
2010年2月~2020年3月 教団まぶね教会牧師
立教大学非常勤講師、農村伝道神学校講師などを経て
2020年4月より 教団三鷹教会牧師、農村伝道神学校兼任教師
<編著書>
共著『地球のみんなと生きる』(新教出版社、2000)
同『現代世界における霊性と倫理』(行路社、2005)
同『牧師とは何か』(教団出版局、2013)
同『信とは何か』(教団出版局、2014)
同『学生YMCAブックレット 今、聖書から聴く 22の平和説教集』
(かんよう出版、2015)
同『そうか!なるほど‼キリスト教』(教団出版局、2016)
同『10代のキミへ』(教団出版局、2016)
同『和解と交わりを目指して』(教団出版局、2018)
編集『押田成人著作選集 全3巻』(教団出版局、2020)
編著『押田成人 遊行の巡礼者』(教団出版局 2024)
<これまでの主な説教>
2026年4月5主日復活節第1主日イースター礼拝説教
「復活の主に出会うところ」
聖書:マルコによる福音書16章1節~8節
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。かねて言われていたとおりそこでお目にかかれる』と。」(6節~7節)
主の復活おめでとうございます。
女性たちは、安息日が終わるとイエスの遺体に油を塗りにゆくために墓へ急ぎました。大きな悲しみや痛みの中でも、それを受け止め慰め癒す役割を女性たちは、様様な文化の中で引き受けてきました。イエスの死においても、女性たちは黙々と弔いの業を行っていたのです。女性たちはしかし、心配していました。果たして墓に行っても中に入ることができるだろうか、と。ユダヤ教の墓は、岩をくりぬくような形で掘られ、そこに遺体が収められますが、その入り口は大きな石でふさがれているので、女の力では動かすことが出来ないのではないか、と心配していたのです。しかし、驚いたことに墓に行ってみるとその大きな墓石は既に転がしてあったのです。これが第一の驚きです。女性たちは墓の中に入ります。すると今度は、白い長い衣を着た若者がいるのに気が付きました。これが第二の驚きです。白く長い衣は、天使を暗示します。この若者は次のように告げました。
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活されてここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」
空っぽの墓。遺体のない墓。それが復活の最初の証でした。そこにイエスがおられない、ということが、まさに大いなる神の力による復活のしるしだったのです。女性たちは信じられない思いだったことでしょう。しかし同時に、生前のイエスの中に働いていた神の力を、この復活のしるしである空の墓において、女性たちはまざまざと体験したのではないでしょうか。
そして、三つ目の驚きは、“復活のイエスにガリラヤでお目にかかれる”という天使の言葉です。何故、ガリラヤなのでしょうか。「あなた方に先立ってガリラヤに行かれる」という天使の言葉。復活の主は、何故、ガリラヤへ行かれたのでしょうか。
ガリラヤは、イエスが神の国の宣教活を始めた地です。ペトロと弟子たちは、ガリラヤでイエスに出会い、漁師の網を捨ててイエスに従ったにもかかわらず、最後は師であるイエスを見捨てて逃げ去ってしまったのです。彼らの人生はまったくの失敗だったと言っても過言ではありません。イエスに仕えるといいながら、最後まで付き従うことができなかった弟子たち。しかし、天使はその弟子たちに告げなさい、というのです。「あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおりそこでお目にかかれる。」(7節)弟子たちは、師を見捨ててしまった自責の念、また、すべてに失敗してしまった後悔にさいなまれていたことでしょう。しかし、その弟子たちに告げなさい、と天使は言うのです。失敗したそのところから、あなた方の人生はまた始まるのだ、と。復活のイエスには、そこでお目にかかれるのだ、というのです。復活のイエスが、天使を通じて弟子たちにその言葉を伝えた、ということは、もう一度初めからやり直そう、というメッセージです。“たとえ今まで、私の生き方を理解していなかったとしても、これから何度でもやり直そう、ガリラヤで私が始めたように、悩み苦しみの中にある者たちを慰め、病の人を癒し、友なき人の友となり、誰も排除しない・排除されない暖かな関わりを創ってゆこう”と、天使を通して復活のイエスは呼びかけておられるのです。それはどん底にあった弟子たちにとって大いなる赦しと救いに包まれる体験だったのではないでしょうか。人間的な可能性が全く尽きたところで、神の大いなる力が働き、死んだようになっていた弟子たちが息を吹き返す、それが弟子たちにとっての復活の体験ではなかったでしょうか。実際、その情けない弟子たちが、復活の主に出会うことによって勇気と力を得、イエス・キリストを宣べ伝える宣教者として生まれ変わるのです。
わたしたちとってのガリラヤとはどこなのでしょうか。もう一度、復活の主イエスと共に立ちあがり生き始める場所は、どこなのでしょうか。それはもしかすると、大きな挫折を味わった場所かもしれません。大きな傷を負ってしまった場所なのかもしれません。しかし「ガリラヤに先立っていかれたイエス」は、私達に先立ってそこにおられます。だから私たちは恐れることなく、自分の痛みや傷に向き合うことができ、人間としての可能性が尽きてしまった、と思える場所から、もう一度始めることができるのです。復活の主の赦しと救いは、それほどに大きいのですから。
女性たちは、このような天使の言葉を聞き、「墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(8節)大きな出来事に出会った時に、人は沈黙します。女性たちもまたそうだったのでしょう。そこで言われたことの意味の大きさをきっと後から知ることになったのでしょう。イエスの死を見届け、弔いを行った女性たちもまた、人間としての限界を抱えていたことが示されます。そうです。私たちは誰もが限界を抱えて、傷つき傷つけられます。しかし、まさにその傷の只中で、復活の主に出会い、愛し愛される関わりへの転換することができるのです。弟子たちのように。復活の主はそのように私たちを今も招いています。この大いなる恵みに感謝して、主の復活を心から祝いたいと思います。主の復活おめでとうございます。
2023年12月24日待降節第4主日礼拝説教「主はわれらのただ中に住まう」
聖書:ゼカリヤ書2章14節~17節
「娘シオンよ、声をあげて喜べ。/私は来て/あなたのただ中に住まう、と主は言われる。」(2:14)
2023年4月9日復活節第1主日イースター主日礼拝説教 「復活の主との出会い」
聖書:ヨハネによる福音書20章1節~18節
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って、彼らに告げた。『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちにはわかりません。』」(20:1~2)
2023年5月28日聖霊降臨節第1主日聖霊降臨日(ペンテコステ)礼拝説教 「不思議な風が吹けば」
聖書:使徒言行録2章1節~11節
「5旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、”霊“が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」(2:1~4)
2022年12月25日子どもの教会クリスマス礼拝お話 「クリスマスーすべての人の喜び」
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が彼らを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。」